もの与へること中々ぢゃ、
心してよきに与へねばならんぞ。
与へることは頂くことと知らしてあろうが、
与へさせて頂く感謝の心がなくてはならん、
〜837頁〜
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与えることは頂くこと。
総ては自分に帰ってくる。
善きことも悪きことも。
感謝の心であることを忘れないように
日々精進
強く押すと強く
弱く押すと弱くハネ返ってくるぞ。
自分のものと言ふものは何一つもないぞ、
この事判れば新しき一つの道がわかるぞ。
〜837頁〜
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総ては自分自身の鏡。
霊界に方位はない、
人民は東西南北と申してゐるなれど、
今に東の東が現われてくるぞ。
霊界では光のさす方が北ぢや、
その他の東西南北は皆南ぢや、
北が元ぢや、北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。
鳴門の渦巻を渡る時はカヂをはなして、
手放しで流れに委せると渡れるのであるぞ、
カヂをとると同じ処をグルグルぢや。
カヂをはなせる人民少ないのう。
何でも彼んでもカヂをとって
自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起こるのぢや、
渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、
ナルトの仕組の一面であるぞ、
大切ごとぞ。
〜835頁〜
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自分の道を行くとき
人も自分と同じように進ませようと
強制しては、無理ができてしまう
互いの舟、流れ着く先は同じ
まかせきることは己を信じきること
神にまかせきるということ
友つくれと申してあろうが、
友と申しても人間ばかりでないぞ、
山も友ぞ、
川も友ぞ、
動植物も友ぞ。
一人の友を得たら一つの世界を得たことぞ、
何も彼も皆友ぢや、
友は己ぢや、
皆己となれば己なくなるぞ、
己なくなれば永遠に生きられる、
無限の己となるぞ。
御神前で拝むもよいなれど、
空を拝めよ、
山も川も拝めよ、
野菜拝めば野菜が、
魚を拝めば魚が神となり、
又、己となるのぢや。
足らぬことないクワシホコチタルのウラヤスの自分となるのであるぞ。
〜836頁〜
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私は一人ではない
空に海に大地に
そして皆に
助けられ支えられ生きている
昨日は昨日、
今日は今日の風、
昨日に囚われるなよ、
人民の道は定まってゐるなれど、
目の前だけしか見えんから踏み迷ふのであるぞ。
〜838頁〜
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昨日吹いた風はもうないのです
今日吹く風は明日はない
今という一瞬
身魂の洗濯掃除とは
今を懸命に生きてゆくことのひとつ
目の前の靄にばかり気を取られると前には進めません
私たちの行く先は光り輝いている
顔をあげて進んでゆくことを
お尻を出したらお尻をキレイにふいてやれよ、
怒ってはならん、
お尻を出されるには、
出されるだけの何かの原因が己れの中にあるのであるぞ。
〜836頁〜
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生まれ赤子は自分でお尻を拭くことはできません
歳をとり自分の身体が思うように動かなくなると
やはり自分でお尻を拭くことはできなくなります
人はそうやって生きて死んでゆく
自分もいずれは通る道
それを怒ることは
怒る心に何かがあるからだと思います
感謝して
出されたものを拭いてゆける心に
今世 そんな心になる
身魂の掃除洗濯なのだと
利子は後からでよいと申すが先に払ふこともあるぞ、
先にお尻をふてやらねばならんこともあるぞ。
世が迫って岩戸があいたのであるから、
先にお尻をふく事もでてくるぞ、
思わぬお尻もち込まれることもあるなれど、
怒ってはならん、
気持ちよくふいてやれよ、
やがては神がそなたのお尻をふいて下さるぞよ。
〜836・837頁〜
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目の前に起こる現実に
怒ることなく
あるがままを受け入れて成して行く
身魂の洗濯掃除の一部には
受け入れられないと思った時に起こる
揺れる感情の動きをなくすこと
何事も素直であること
なのでしょう
仕事はいくらでもあるではないか、
七つの仕事があるぞ、
七人のかへミタマあると知らせてあろうがな、
高く昇らねば遠くは見えん、
目の先ばかり見ているから行きつまるのぢゃ、
道には落し穴もあるぞ、
心得て、
仕事に仕へまつれよ。
〜837頁〜
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臆病な心では
高い志を持つことはなかなか難しく
その事で心を曇らせてしまいます
それが目の前にあることすら判断がつかなく
小さなことでつまづいてしまうのです
高い所にから見すえると
道にある穴もみえ乗り越えやすくなる
その為の
臆病な心を捨てる
身魂の掃除なのです
岩戸はひらかれてゐるのに何してゐるのぞ、
光がさしてゐるのに何故背を向けてゐるのぞ、
〜837頁〜
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身魂が曇りて
岩戸の光が見えないから
当り前のことにきがつけず
そこにあることがワカラナイ
身魂の掃除洗濯をなしてゆけば
見える光
十の仕事して八しか報酬ないことあるぞ、
この場合二は神にあづけてあると思へよ、
神の帳面あやまりなし、
利子ついて返って来るぞ、
まことのおかげはおそいと申してあろうがな。
〜837頁〜
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まことのおかげは
遅くにやってくる
気がつかないうちに
やってきているかもしれない
それに気付けるように
身魂の掃除洗濯を
なしてゆく