喜びにとけ入るから嬉しいのぞ。
喜びから遠ざかるから悲しいのぞ。
そんなこと分かってゐると申してゐるが、
ほんとに身体に分つてゐまいぞ。
喜びに入る門は愛からぢや。
真からじや。
二道なれど愛から入るのが入り易いが、
愛からでは誤り易い。
生まれてすぐ歩けるものでないぞ。
始めから何も彼も出来るものでない。
気長に進んで行けよ。
内の念と外の念とあるぞ。
二つであるぞ。一つであるぞ。三つであるぞ。
心大きく、広く天地に放さねば、
天地のキを吸ふこと出来んぞ。
〜658頁〜
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無垢な赤ちゃんに向けられるのは、
生まれて来てくれた喜び、その中に生まれる愛。
色々あるけれど
心が喜んでいなければ、愛は押しつけに変わってしまう。
誤らぬように喜びの道を進む。
「気長に進んで行けよ。」
素直に喜べるように、心から愛せるように。
身も心も嬉し嬉しなるのがまことの神ぢゃ。
ものの嬉しさだけではゼロぢゃ。
たまの嬉しさだけでもゼロぢゃ。
よく心得なされよ。
〜654頁〜
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心だけでも、身だけでも
嬉にはならない。
心身共に健康で美しくあることが
大事なのですね。
運命は自由自在のものであるが、
又強ひるものでもあるぞ。
大きくも、
小さくも、
薄くも、
厚くも、
その人の心次第に変わるぞ。
もとは霊界にあるからぞ。
嬉し嬉しで運命を迎へる気、
結構ぞ。
この世のことだけで この世のこと動かんぞ。
霊界との関係によつて、
この世が動いてゐる道理判らねばならん。
早う神の心に、
神意さとれよ。
遠慮いらん。
何事も天から出て来るのぢや。
天からとは心からのことぢや。
〜659頁〜
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天は心の中にある
気付かなければ 天は遠く外に感じる
心次第
嬉し嬉しの心でいることが
辛く悲しく苦しい運命を嬉し楽しの運命に
変えてくれる
私たちは強い心を持ってこの世にいる
今まいた種、
今日や明日には実らんのざ。
早く花が見たく、
身がほしいからあせるのぢや、
人間の近慾と申すもの。
トキ
神の大道に生きて実のりの秋をまてよ。
まいた種ぢや。
必ず実のる。
誰も横取りはせんぞ。
万倍になつてそなたにかへると申してあらう。
未来にもえつつ現在にもえよ。
神相手に悠々と天地に歩め。
〜644頁〜
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結果が欲しいのは、
今の自分に自信がないから
私は私
待つことも精進修行
咲かない華はないのだから
一つの魂を得ることは
一つの世界を得ることぢや。
人間は一人でないぞ。
神は善人の中にも悪人の中にも呼吸してゐるぞ。
悪なくては生きて行けん。
悪は悪でないぞ。
外道の悪が悪であるぞ。
〜652頁〜
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一人ではないということを
忘れないで
人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ。
人間はいつも善と悪との中にゐるのであるから、
善のみと云ふこともなく
悪のみと云ふこともない。
内が神に居りて外が人に和し、
内が霊に居り外が体に和せば、
それでよいのぢゃ。
其処に喜び生まれるのぢゃ。
〜651頁〜
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この世に生きてゆくということ
それは善と悪の中を進んで生きてゆくこと
その中で善を持ち、悪を見据えながら生きてゆく
人間の死後、
自分の命の最も相応しい状態におかれるのであるぞ。
悪好きなら悪の、
善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。
皆々、極楽行きぢゃ。
極楽にもピンからキリまであるぞ。
神の旨に添ふ極楽を天国と云ひ、
添はぬ極楽を幽界と申すのぢゃ。
〜665頁〜
悪とはカゲのことであるぞ。
斜に光を頂くから影出来るのぢや。
影は主人でないぞ。
絶対は何と申しても絶対ぞ。
〜656頁〜
気づいたことから早う改めて下されよ。
トコトン迄行つて神がさすのでは人間の面目ないから。
人間同志でよく致し下されよ。
〜646頁〜