アカニ              ミキ
赤丹の頬にきこしめしませ御酒たてまつる。

何事が起って来ても先づ喜んで迎へねばならんぞ、
近づいてくるのは呼びよせたからぢや、
こんないやな、
きたないものは、
こめんぢやと申す人民あるなれど、
それは皆己の心のうつしでないか。

内に無いものが外から近よる道理ないのぢや、
どんなものでも、
喜んでむかへるとよろこびとなる結構な仕組、
よく会得せよ。

何事も一段づゝ、
一歩づつぢや、
一足飛びは大怪我のもと。

                    〜759頁〜
----------------------------------------

この世は私たちの写鏡。
思っていることが現実となっている世。

どんなに辛く苦しく悲しいことがあっても
それは己が呼び寄せている。
乗り越えることのないものは無いのだ。
身魂を喜びで 心を美しく磨いていたなら、
全て善き事、喜びとなる。

私たちの心一つ。
一歩づつ精進してゆく。

2007.11.23 Fri l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲
高天原に千木高しりて仕へまつらむ。
岩戸(言答)のひらけた、
その当座は、
不合理に思へることばかりでてくるぞ、
逆様の世界が、
この世界に入り交るからであるぞ、
親よりも子の方が早く目さめるぞ、
子が親となるぞ、
さかさまの世界と申しても悪の世界ではないぞ、
霊の世界には想念のまゝにどんなことでも出来るのであるぞ、
うれしい、
こわい世界が近づいて来ているのであるぞ。

               〜755頁〜
----------------------------------------

想念のままにできてしまう
この世界

生まれ赤子の心のように


2007.12.24 Mon l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲
イシもの言うぞともうしてありたが、
イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、
五の一四がもの言ふのであるぞ、
ひらけば五十となり、
五百となり、
五千となる。
握れば元の五となる、
五本の指のように一と四であるぞ、
このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、
これがイチラ(五千連)ぞ、
イツラ五十連ぞ、
判りたか、
五十連世に出るぞ。

天に神の座あるように
地には人民の座があるぞ、
天にも人民の座があるぞ、
地に神の座があるぞ。
七の印と申してあるぞ、
七とはモノのなることぞ、
天は三であり、
地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、
天の数二百十六、
地の数一百四十四となりなり、
伊邪那岐三となり、
伊邪那美二となりなりて、
ミトノマグハイにて五となるのであるぞ、
五は三百六十であるぞ、
天の中の元のあり方であるぞ、
七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、
天は数ぞと申してあろう、
地はいろは(意露波)であるぞ。

判らん者が上に立つことゝなるぞ、
大グレン目の前、
日本のみのことでないぞ、
世界中のことであるぞ、
今度は三千世界が変わるのであるから
今迄のようなタテカヘではないのであるぞ。

何も彼も鏡にうつるのであるぞ。
鏡が御神体であるぞ、
何もうつらん御神体のカガミは何もならんぞ。

               〜753・754頁〜
2007.12.25 Tue l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲
たゝえごとふとのりと
称言太祝詞こと今ぞ高らに。

木でも草でも皆、
中から大きくなるのざと申してあろう、
つけ焼刃や膏薬はりで大きくなるのでないぞ、

三千年に一度と言ふ、
又とない結構な時がめぐりて来てゐるのであるぞ、

為せば為るぞ、
六ヶ敷いこと申してゐるのではない、

自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、

みがけば神と同列のミタマぞ、
釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう、

内にあるものを磨けば外からひびくものも磨かれた、
けがれのないものとのなるのぢや、

中の自分を掃除しないで居るといつ迄たっても、
岩戸がひらけてゐても岩戸はひらけん。

               〜761頁〜
----------------------------------------

自分の中の自分
自分の外の自分
自分

2008.02.22 Fri l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲
神が苦しむ時は人民が苦しみ、
人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。

世界中の苦しみ、
地上の苦しみ、
天上の苦しみぞ、
この大峠を越してから大いなるタノシがあるぞ、

人の心のむつかしさ計り知れん程であるなれど、
見て御座れ、
見事なこと致して見せるぞ。

               〜757頁〜
----------------------------------------

苦しみの中
己の進むべき道を探し
何かを掴もうともがいている

身魂の掃除洗濯をなしてゆく
己の心を苦しみを
超えてゆこう


2008.02.29 Fri l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲
はらひため千城百国精治万歳。

三年と半年、
半年と三年であるぞ、

その間はクラヤミ時代、
火をともしてもくらいのであるぞ、
あかるい人民にはヤミでも明るい、

日は三日と半日、
半日と三日、
次に五年と五年ぢゃ、
五日と五日ぢゃ、
このこと間違へるでないぞ。

手足の爪まで抜きとられ、
あるにあられん、
むごいことにされて
追ひやられたのであるが、

マコトはマコトぢゃ、

時めぐりきて、
我(が)がとれたので、

光がさしそめたのぢゃ、
岩戸がひらけたのぢゃ。


               〜756・757頁〜

2008.07.09 Wed l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲
人民と申すものは天狗ざから、
自分はよいのだか、
世の中悪いのざと申してゐるなれど、
世の中と申すものは大神のハタラキの現れであるから、

大神の中のうごきであるから、

世の中が悪いと思ふのは、
大神が悪いと思ふことになるのぢやぞ、

其処に底知れぬ程の魔の仕組があるぞ、
気つけおくぞ。

               〜760頁〜

----------------------------------------

この世が悪いのは自分のせいではないと
思うことが既に天狗になっている

この世は己の心にもつ獣が映し出される鏡

人のせいではなく
まず自分を顧みる





2008.07.13 Sun l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲
判らん者が上に立つことゝなるぞ、

大グレン目の前、
日本のみのことでないぞ、
世界中のことであるぞ、

今度は三千世界が変るのであるから
今迄のようなタテカヘではないのであるぞ。

               〜754頁〜



2008.07.26 Sat l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲
レイ
マルがもとぢや、

レ イ
レ 一がもとぢや、
結びぢや弥栄ぢや、
よく心得なされよ。

マルの始めから一と現れるまではマルを十回も百回千回も万回も、
くりかへしたのであるぞ、

               〜754頁〜

----------------------------------------

一から始めるのではなく
〇から始める

諦めることなく
ただそれに向かって
何度も何度も

そこに一が生まれる
そしてそこから始まる


2008.08.22 Fri l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲
なかとみのふとのりとことふとにのりあぐ、

一はいくら集めても一であるぞ、
判らんものいくら集めても判らん道理、
二は二、
三は三であるぞ、

一を二つ集めても二にはならんぞ、

人民大変な取違いを致して居るぞと申してあろうがな、

               〜754頁〜

----------------------------------------

一つのことを
深く考える理解しないと
判らないまま次の一つをとったところで
それが二となることはない

進む道に気付かずにいると
一しか見えずそればかりを集め
二になると思いこむ
けれどやっぱりそこにあるのは一であり二ではない
一つの段階を越えなければ二は見えない

素直な心で見る、考える

何度も何度も
諦めることなく



2008.10.21 Tue l 扶桑之巻 l COM(0) TB(0) l top ▲