幽界は人間界と最も深い関係にあり、
初期の霊かかりの殆んどはこの幽界からの感応によることを忘れるでないぞ。
霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。
高ぶったり、
威張ったり、
命令したり、
断言したり、
高度の神名を名乗つたりするものは必ず下級霊であるぞ、
インチキ霊であるぞ、
インチキ霊にかかるなよ、
たとへ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。
迷信であつてもそれを信ずる人が多くなれば、
信ずる想念によつて実体化し、
有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。
無き筈のもの生み出しそれが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。
今の人民九分九厘は幽界とのつながりをもつ、
胸に手をあてゝよくよく自分をサニワせよ。
〜800頁〜
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信じる心の強さを自覚しなければならない
私たちの心は脆くて強いもの
すがりたい気持ちの前に
先ずは自分に問う
はじめに出て来る霊は殆んど下級霊であるぞ、
玄関に先づ出て来るのは玄関番であるぞ。
祖霊の出る場合は、
何か頼みたい場合が多いぞ、
浄化した高級霊ともなれば、
人民に判るような感応は殆んどないぞ。
〜806頁〜
霊の発動をとめて
静かにする法は
「国常立大神守り給へ幸はへ給へ」
と三回くり返すこと。
又
「素盞鳴大神守り給へ幸はへ給へ」
と三回くり返すこと、
又は
「太日月地大神守り給へ幸はへ給へ」
と三回くり返すこと。
世界そのものの霊かかり、
日本の霊かかり、
早うしづめんと手におえん事となるが、
見て御座れよ、
見事な事を致してお目にかけるぞ。
〜807・808頁〜
動物霊が人間の言葉を使ふことは、
フに落ちないと申すものが沢山あるなれど、
よく考へて見よ、
例へば他人の家に入って、
其処にある道具類をそのまま使用するのと同じ道理ぢゃ、
判りたか、
動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、
その人間のもつ言葉を或程度使いこなせるのであるぞ、
故に日本人に感応すれば日本語、
米人なれば英語を語るのであるぞ。
今の偉い人民がこの神示をよむと、
理屈に合わん無茶苦茶な文章であるから、
下級霊の所産だと断ずるなれど、
それは余りにも霊界の事を知らぬ、
霊的白痴であることを、
自分で白状してゐるのぞ、
気の毒ぢゃなぁ、
ましてこの神示は八通りに読めるのであるから、
いよいよ判らん事になるぞ。
〜803・804頁〜
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素直に聞くことのできる身魂
何事にもとらわれる事のないように
幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、
それは只申すだけであるぞ。
悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、
よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。
よい言葉ならば、
たとへ悪神が語ってもよいではないかと思すものもあるなれど、
それは理窟ぢや、
甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。
神の善言真語は心、
言、
行、
一致であるから直ちに力する、
言葉の上のみ同一であっても、
心、
言、
行、
が一致しておらぬと力せぬ。
偽りの言葉は、
落ちついてきけばすぐ判るぞ、
同じ「ハイ」と言ふ返事でも、
不満をもつ時と喜びの時では違ふであろうがな。
われ天照太神なり、
などと名乗る霊にロクなものないぞ、
大言壮語する人民マユツバもの。
〜805頁〜
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心 言 行
一致させること
たとえ正しき事を言っていても、
行がともなっていないもの
そして心からの言葉ではないものは
そこに偽りが生まれる
人間の肉体に他の霊が入って自由にしてゐるのだと、
多くの霊覚者やサニワが信じてゐるなれど、
事実そう見へるなれどそれは誤りであるぞ。
人間の肉体は原則として真理の宿り給ふ神の生宮であるから、
下級霊は中々に入ることは出来ん。
例外はあるなれど、
肉体霊、
外部霊、
副守護霊等の想念は、
時によって動物的、
幽界的となるものであるから、
それと同一波調の動物的霊が感応する、
感応はするが肉体の内部迄は入り込めない、
しかし感応の度が強ければ入ったと同様に見へる状態となるのである。
先祖霊も大体同様であるぞ。
〜802・803頁〜
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憑依されるということは
自分自身が呼び寄せているのだと
そしてそれは
自らの心に持っている
獣に反応してくるのだ
世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、
かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、
サニワせねばならん、
サニワの方法書き知らすぞ。
世界を、
日本を、
自分をサニワせねばならん。
目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、
暗示的となるものであるぞ、
ドタンバタン、
大声でどなり散らすのは下の下。
〜798頁〜