神の国は神の肉体ぞと申してあるが、
いざとなれば、
お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に、
出来てゐるのざぞ。
なるようにせんからならんのざぞ。
それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。
神の国より広く肥えた国幾らでもあるのに、
神の国が欲しいは、
誠の元の国、
根の国、
物のなる国、
元の気の元の国、
光の国、
真中の国であるからぞ、
何も彼も、
神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。
神の昔の世は、
そうなっていゐたのざぞ。
〜272頁〜
あら楽し、
あなさあけや、
元津御神の御光の輝く御代ぞ近づけり。
岩戸開けたり野も山も、
草の片葉の言止めて、
大御光に寄り集ふ、
誠の御代ぞ楽しけれ。
今一苦労二苦労、
とことん苦労あるなれど、
楽しき苦労ぞ目出度けれ。
申、酉すぎて戌の年、亥の年、
子の年目出度けれ。
一二三の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、
その覚悟せよ。
覚悟よいか。
待ちに待ちにし秋来たぞ。
八月七日、
アメのひつくのかみ。
〜278頁〜
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自分がそれを苦労と感じるか感じないか
他から見て苦労かもしれないけれど
己が心で楽しんで成しているなら
それは苦労ではなく
自身の身魂の洗濯掃除になること
それは嬉し嬉し
楽し楽しの心となる
今までは悪の世でありたから、
己殺して他人助けることは、
此の上もない天の一番の教といたしてゐたが、
それは悪の天の教であるぞ。
己を活かし他人も活かすのが天の道ざぞ、
神の御心ぞ。
〜271頁〜
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自己犠牲の上になりたっているものは
自分のエゴにすぎない
それこそ傲慢という心の現れ
自分も他人も
すべてが天の道をゆくために
気付いてゆくこと
直会(なをらひ)も祭典(まつり)の中ぞ。
朝の、
夕の、
日々の人民の食事皆直会ぞ。
日々の仕事皆まつりぞ。
息すること此の世の初めのまつりぞ。
まつれまつれと申してあろが。
おはりの御用ははじめの御用ぞ。
まつりの御用ぞ。
〜276頁〜
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この方カの神と現はれるぞ、
サの神と現はれるぞ、
タの神と現はれるぞ、
ナの神と現はれるぞ、
ハマの神と現はれるぞ。
ヤワラの神と現われたら、
人間眼明けて居れん事になるぞ、
さあ今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、
二股膏薬ではキリキリ舞するぞ、
キリキリ二股多いぞ。
獣となれば、
同胞(はらから)食ふ事あるぞ。
気付けておくぞ。
〜273・274頁〜
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今の人民は
大なり小なりの獣を持っています
身魂の洗濯掃除をなさねば
八分の獣の人民となってしまう
何もかも神示読めば判る様になってゐる事忘れるでないぞ、
此の仕組云ふてならず、
云はねば判らんであろうなれど、
神示読めば因縁だけに判るのざぞ。
石物云ふ時来たぞ。
〜274頁〜