悪は悪にのみ働きかけ得るのであるぞ。
善に向かつて働いても、
善はビクともせんのぢや。
ビクつくのは、
悪に引込まれるのは、
己に悪あるからぞ。
合わせ鏡と申してあらうが。
悪の気断ちて下されと申してあらう。
心の鏡の凸凹なくなれば悪うつらないのざ。
悪はなきものぞ。
無きとは力無きことぞ。
悪あればこそ向上するのであるぞ。
悔い改め得て弥栄するのであるぞ。
人間の能(ハタラキ)あるのざぞ。
ヽを忘れてはならん。
〜635頁〜
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己の中のの悪を抱いてゆく
この悪がなければ
何が善かとを知り得、
より上へと向上することが難しいものとなるだろう
悪を変える力を持つこと
この世は己の鏡なのだから
そこに映る心を抱いてゆく
ヽ入らねば悪となるぞ。
能(ハタラキ)なきもの罪ぞ。
穢れぞ。
善と悪と二道かけてならんぞ。
理(ミチ)は一本と申してあらう。
悪は悪として御役あるぞ。
悪と偽りの中に悪の喜びあるぞ。
善と悪の二道の中には、
二道かけては喜びないぞ。
喜びないもの亡びるのざ。
御役の悪とは悪と偽りの悪であるぞ。
悪と善との二道かけての悪でないぞ。
心せよ。
〜635頁〜
幽界と申すのは凸凹のうつしの国と申してあらうがな地獄ではないのざ。
仙人は幽界に属してゐるのざと聞かしてあらうが。
取違ひして御座るぞ。
愛は真と和して愛と生き、
真は愛として和し、
愛によつて真の力現はれるなれど、
愛のみでも愛であるぞ。
真のみでも真であるぞ。
只はたらき無いのざ。
能(ハタラキ)ないもの力ないぞ。
喜びないぞ。
喜びないもの亡びるのざ。
〜635頁〜
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愛のみでも真のみでもいけない
それは向上してゆく役を果たせない
和して生まれる喜びを見出すことを。
凸凹(デコボコ)あるから力あらはれるのぞ。
凸凹あるため、
善のみでも呼吸し、
又真(シン)のみでも呼吸(イキ)するのであるぞ。
偽善者も真を語り、
真を伝へ得るのであるぞ。
愛を云ひ得るのであるぞ。
〜634頁〜
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善の中に悪があり
悪の中に善がある
その中の真を見る
愛を得る
始めの日は始めの日に過ぎん、
始めの前にあるものが判らなければ、
それは只の理屈に過ぎんぞ、
マコトでないぞ、
根からでたものではない、
枝葉に過ぎん、
男から女は生まれんぞ、
奇数から偶数は生まれんと申してあろうが、
一つのものゝ表が男であるぞ、
裏が女であるぞ、
男から女をつくったと申すのは或時期に於ける教ぢや、
岩戸がひらけたのであるから教へではならん、
道でなくてはならんと申してあるぞ
道は永遠ぢや、
○から出て○に至るのぢや。
〜770頁〜
上から見ると皆人民ぢゃ。
下から見ると皆神ぢゃ。
判りたと思ふて御座るなれど、
神の経綸が学や、
金銀つんで、
チョットやソツトで判る筈ないぞや。
今迄の、
三千年のやり方違つてゐたと心つくなれば、
心付いて神示よむなれば、
一切のことありやかとなるのぢゃ。
カンジンぢや。
〜737頁〜
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色々学び、判ったつもりになることは
本当は判ってはいないのだ
上を理解するには上へと自分を上げる
今は下でそれを学んでいる
驕ることなく
慢心することなく
己の身魂の洗濯掃除を成してゆく
氷と水と水蒸気ぢゃと申してあろうがな、
同じであって違ふのぞと知らしてあろう、
地には地の、
天には天の、
神には神の、
人民には人民の、
動物には動物の、
植物には植物の、
それぞれの法則があり、
秩序があるのであるぞ、
霊界に起こったことが現界にうつると申しても其のままうつるのではないぞ、
また物質界が霊界に反影すると申しても其のままに反影するのではないぞ、
総てが太神の中の動きであるから、
喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、
それをフトマニと申すのぞ、
太神の歓喜から生まれたものであるが、
太神のその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるぞ、
鉄則ではあるが、
無限角度をもつ球であるから、
如何ようにも変化して誤らない、
マニ(摩邇)の球とも申すのであるぞ。
その鉄則は第一段階から第二段階に、
第二段階から、第三段階にと、
絶えず完成から超完成に向かって弥栄するのであるぞ。
弥栄すればこそ、
呼吸し、
脈搏し、
進展して止まないのであるぞ。
このこと判れば、
次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのであるぞ。
〜778頁〜
頭さげて低うなって見なされよ、
必ず高い所から流れてくるぞ。
高くとまっているから流れて来んのぢゃ、
神のめぐみは水のように淡々として低くきに流れて来るぞ、
自分が自分にだまされんように心して下されよ、
善悪をきめて苦しんで御座るぞ。
世界の片端、
浜辺からいよいよが起って来たぞ、
夜明け近づいたぞ。
〜819頁〜
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善 悪
すべてはそこにある
見えるそれは表であり
裏を見ずに
決めてしまうから
苦しんでしまう
自分が正しいと思い込んでしまうことがないように
いつもそれが本当に正しいことかを
心に説いて見ること
グツトしめたり、
ゆるめたりして呼吸しなければならん。
其処に政治のうごきあるぞ。
経済の根本あるぞ。
逆にしめる事もあるぞ。
善と申し悪の御用と申すことの動き、
そこから出るのぢゃ。
じつとしてゐてはならん。
ジツトとしてゐる善は善ではないぞ。
〜733頁〜
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今揺れているこの世、この国
善き事と申しながら悪の御用と見えるものも
何もせずに流されるものがあるから
善き方向には流れない
善を思うことだけでは
善とはならず
行動せよ
早う目覚めんと、
別の御用に廻らなならんぞ、
ウシトラコンジン様、
何事も聞き下さるぞ、
誠もってお願ひせよ、
聞かん事は聞かんぞ、
聞かれる事は聞いてやるぞ。
神、仏、キリスト、ことごとく人民の世話もしてやるぞ。
時節到来してゐるに未だ気付かんか、
人民の物と云ふ物は何一つないのざぞ、
未だ金や学で行けると思ふてゐるのか、
愈々の蓋あいてゐるに未だ判らんか。
奥山に参りて来ねば判らんことになって来るぞ。
奥山、おく山ぞ、
同じ奥山が、その時々により変って来るぞ、
身魂磨けば磨いただけ光りできておかげあるぞ、
この道理判るであろがな。
〜518・519頁〜
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人民のものというものは
実は何一つないのではと
今ある土地も家も
それは地球という母のものであり、
みな母から産まれ出でたものを使わせていただいている
感謝のこころで使わせていただく