戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。
人民いよいよ苦しくなるぞ。
三四五(みよいず)の仕組出来ないで、
一二三(ひふみ)の御用はやめられんぞ。
此の神示読んで三四五の世の仕組よく腹の中に入れておいて
上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。
三四五とはてんし様の稜威(みいづ)出づことぞ。
〜143頁〜
神の神民 身と魂のわけ隔てないぞ
身は魂、
魂は身ぞ
外国は身ばかりの所あり
魂ばかりの所あり
神は身魂の別ないぞ、
この事分りたら神の仕組みがぽつぽつ分るぞ、
身魂の洗濯とは
心の洗濯とは、
魂ばかりの洗濯でないぞ、
よく気をつけて呉れ
神の申すことちがはんぞよ。
〜15・16頁〜
世界平とう
胸の掃除からハラの掃除ぞ。
理智がまことの愛ぞ。
ク
(ア九)も神の御子。
絶対の責任は神、
相対の責任は人民。
親よりも師よりも神愛せよ。
その親、師は神から更に愛されるぞ。
〜582頁〜
利子は後からでよいと申すが先に払ふこともあるぞ、
先にお尻をふてやらねばならんこともあるぞ。
世が迫って岩戸があいたのであるから、
先にお尻をふく事もでてくるぞ、
思わぬお尻もち込まれることもあるなれど、
怒ってはならん、
気持ちよくふいてやれよ、
やがては神がそなたのお尻をふいて下さるぞよ。
〜836・837頁〜
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目の前に起こる現実に
怒ることなく
あるがままを受け入れて成して行く
身魂の洗濯掃除の一部には
受け入れられないと思った時に起こる
揺れる感情の動きをなくすこと
何事も素直であること
なのでしょう
ものうむ始め女。
目的たてるとスコタン。
種から生えたものは渋柿ぢゃ。
接木せねば甘柿とはならんぞ。
己のためすることは人のためにすることぞ。
思は力、
実在ぞ。
〜566頁〜
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思いは力となり、それは現実のものとなる
人はひとりづつ一つの種
たわわに実をならそうとしても
そこに出来るものは口にするには渋いもの
ひとりではなく誰かと一緒に
たとえ自分の実がならなくても
誰かのために尽くすこと
そこになる実は口にすることのできるものとなる
誰かのために始める
お尻を出したらお尻をキレイにふいてやれよ、
怒ってはならん、
お尻を出されるには、
出されるだけの何かの原因が己れの中にあるのであるぞ。
〜836頁〜
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生まれ赤子は自分でお尻を拭くことはできません
歳をとり自分の身体が思うように動かなくなると
やはり自分でお尻を拭くことはできなくなります
人はそうやって生きて死んでゆく
自分もいずれは通る道
それを怒ることは
怒る心に何かがあるからだと思います
感謝して
出されたものを拭いてゆける心に
今世 そんな心になる
身魂の掃除洗濯なのだと
これまでに申しきかせても言ふこときかぬ人民多いぞ、
きく耳ないならば思ふようにやって見なされ、
グルグル廻って又はじめからぞ、
人民は神の中にゐるのであるから、
いくら頑張っても神の外には出られん。
死んでも神の中にゐるのぞ、
思ふさまやりて得心改心、
われがわれがで苦しむのも薬と申すもの。
〜818頁〜
十くさ、
十二くさのかむたから、
おきつかがみ、
へつかがみ、
八つかのつるぎ、
九つかのつるぎ、
十つかのつるぎ、
いくたま、
まがるかへしのたま、
たるたま、
ちかえしのたま、
おろちのひれ、
はちのひれ、
くさくさのひれ、
であるぞ。
む、
ひと、
ふた、
み、
よ、
いつ、
む、
なな、
や、
ここ、
たり、
う、
であるぞ。
う、
たり、
ここ、
や、
なな、
む、
いつ、
よ、
み、
ふた、
ひと、
む、
であるぞ。
となへよ。
のりあげよ。
〜860・861頁〜
大層が大層でなくなる道が神の道ざぞ、
この道中行く道、
神示読みて早うガテン結構ぞ。
〜520頁〜