此の世の位もいざとなれば宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、
此世去って、
役に立つのは身魂の徳だけぞ、
身についた芸は其の儘役立つぞ。
〜193頁〜
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人はこの肉体を離れ魂になった時
持ってゆけるのは
思いだけです
心だけです
日に日に厳しくなりて来ると申してありた事始ってゐるのであるぞ、
まだまだ厳しくなって何うしたらよいか分からなくなり、
あちらへうろうろ、
こちらへうろうろ、
頼る処も着るものも住む家も食ふ物も無くなる世に迫って来るのざぞ。
それぞれにめぐりだけの事はせなならんのであるぞ、
うれ うれ
早い改心はその日から持ちきれない程の神徳与へて喜悦し喜悦しにしてやるぞ、
寂しくなりたら訪ねて御座れと申してあろがな、
洗濯次第で何んな神徳でもやるぞ、
神は御蔭やりたくてうづうづしてゐるのざぞ、
今の世の様見ても未だ会得らんか。
神と獣とに分けると申してあろが、
ふで
早う此の神示読み聞かせて一人でも多く救けて呉れよ。
〜182頁〜
にし つるぎ
二四は剣ざぞ。
神まつりは神主ばかりするのではないぞ、
かがみ
剣と鏡とまつらなならんぞ、
たま
まつはれば霊となるのざぞ。
霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、
政治も教育も経済の大将も神祀らねばならんのぞ。
〜180頁〜
神の経済この事から生み出せよ、
大きくなつたり小さくなつたり、
はたら
神の御心通りに活くもの円いのざぞ、
しん
円い中にも心あるぞ、
神の政治、
この事から割り出せよ、
まつりごと
神は政事の姿であるぞ、
神の政治生きてゐるぞ、
人の政治死んでゐるぞ。
〜184・185頁〜
桜花一度にどっと開く世となるのざぞ、
神激しく臣民静かな御代(みよ)となるのざぞ。
日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、
臣民の心の富士も晴れ晴れと、
富士は晴れたり日本晴れ、
心晴れたり日本晴れぞ。
〜176頁〜
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稲刈りが始まっていますが
この変動するお天気に
その作業はなかなか進まない日が続きます
けれど、やはり雨は必要なもの
晴れの日もあれば雨の日も
今の私たちには必要な自然の恵みです
いつも心晴れたれば
この世も日本晴れなのだと
心穏やかにまいりましょう
ひ
お太陽様円いのでないぞ、
お月様も円いのではないぞ、
地球も円いのではないぞ、
人も円いのが良いのではないぞ、
息してゐるから円く見えるのざぞ、
はたら
活いてゐるから円く見えるのざぞ、
皆形無いものいふぞ、
息してゐるもの皆円いのざぞ。
〜184頁〜
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いきしている
はたらいている
この世にいること
それが円いということ
人はそれぞれ
心の形は違えども
こうやって生きていることが
〇円いのだ
病あるかないか。
災難来るか来ないかは、
手届くか届かないかで分ると申してあろがな。
届くとは注ぐ事ぞ、
手首の息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首の息と手の息と
八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、
〜185頁〜
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私たちが生きているのは
息しているから
その息が合っていないことから生まれるのが病なのですね
自分の体に意識を注ぐこと
本当は自分の体は自分が一番知っているはず
注意を怠ると息合わなかったズレを見つけることができず
病の道を歩み始めるのかもしれません
病は自分を見つめるよい材料となりますが
できるなら病になる前に
体と心の息を合わせてゆくように
心がけてい行きたいものです
また災難ですが
その息を身体から自然という外に意識を注いだなら
自然と判るものなのでしょう
身体の息を合わせ
心と息を合わせ
そして自然と息を合わせてゆく
私たちの体は自然を感じるアンテナなのだと感じます
災難見ないのざから、
毎朝神拝みてから克く合はしてみよ、
合ってゐたら其日には災難ないのざぞ、
殊に臍の息一番大切ざぞ、
若しも息合ってゐない時には一二三唱へよ、
唱へ唱へて息合ふ迄禱(ゐの)れよ、
何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、
此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミ)であるぞ。
〜185頁〜
春になりたら何んな事あるか分からんから今年中に心の洗濯せよ、
みのまわり
身辺洗濯せよ、
〜186頁〜
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魂は永遠ですが
この身体を持って生きる時間には限りがあります
自分の命の有限を感じたのなら
なお行動し後悔することなく生きてゆくことを心に
身魂の掃除洗濯を成してゆく