秋立ちたら淋しくなるぞ、
淋しくなりたらたづねてござれ、
我を張ってゐると、
いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。
〜25頁〜
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私の勤める会社に
もう来年は還暦の方で
仕事は一生懸命にしていますが
社長や同僚の言うことを聞かない人がいます
それはまた施工主さんに対してもなのです
一見話を聞いているかのようですが
出来あがってくると違う…
やり直しの繰り返しがあり
それがロスとなって赤字になるのです
また、その失敗を繰り返しているにもかかわらず
自分の間違いを認めず取り繕い
決して他の人に助けを求めず
毎日残業していらっしゃいます
しかし自分一人が仕事をしているという感じがするのです
私はこうやって目の当たりで見させてもらう事で
我というものを学ばせてもらっているのだと思います
口と心と行と三つ揃ふたら今度は次にゝ入れて下されよ、
ゝは神ぢゃ、
神示ぢゃ、
神示元ぢゃ、
と申してあろが、
三つ揃ふても肝腎の神示肚に入って居らんと何にもならん事になるぞ。
〜495頁〜
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口だけでも
心だけでも
行いだけでも
まだ未完
まだまだ揃ってはいないけど
揃って安心することなく
それからが御用となる
悪霊自身は自身を悪とは思うてないぞ。
〜656頁〜
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この世に残る悪霊
自身が悪になっていることは露知らず
自分ではない身体に入り
なぜこんな風になってしまったのかを訴え続ける
その言葉は、人の言葉とならず
私たちには伝わらない
また、知らそうとも私たちの言葉は聴かない
…だからこまった霊なのだけれど
毎日、そんな姿を見ながら
その身体が機能しなくなった時
また次の器を探すために彷徨う霊の
永遠に続くその輪を断ち切ることが
慈悲なのかと思う
我出したら判らなくなるぞ、
てんし様おがめよ、
てんし様まつりて呉れよ、
臣民無理と思ふ事も無理でない事沢山あるのざぞ、
神はいよいよの仕組にかかったと申してあるがな。
毀すのでないぞ、
練り直すのざぞ。
世界を摺鉢に入れて捏ね廻し、
練り直すのざぞ。
日本の中に騒動起るぞ。
〜141頁〜
今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、
見当取れんのざぞ。
神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひつくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、
そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。
此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。
今はまだまだ一の幕で、
せんぐり出て来るのざぞ。
〜141頁〜
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見当がつかない大洗濯というと
どうしても不安なことを考えがちになります
その不安をなくすこと
それが洗濯しなければならないことの一つだと思います
いよいよの正念場に
己が心を失うことなく生きてゆけるよう
日々身魂の掃除洗濯を成してゆく
此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。
早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。
〜141頁〜
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人間がこの世の生を閉じるとき
持って行けるのは
生きている時に磨いた魂のみ
今を生きるために必要であるものがありますが
それに執着することなく
この身体ある今を生きてゆきたいと思います
執着を捨てると
色々なしがらみから楽になる
臣民はどない申しても近慾ざから先見えんから慾ばかり申してゐるが、
神は持ち切れない程の物与へてゐるでないか。
幾ら貧乏だとて犬猫とは桁違ふがな。
それで何不足申してゐるのか。
〜159頁〜
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私は会社をいくつか転職し
主人もいくつかの会社を転職しました
この三年のうちに
二人合わせて私の年収分の収入は減りましたが
有難いことに
持ち切れないほどの物を頂いています
それは幸せ
不足を言えば不足が生まれます
幸せを唱えれば幸せになるということを
学ばせてもらいました
モノではなく
心を与えていただいたと
神に厄介掛けぬ様にせねばならんぞ。
神が助けるからと申して臣民懐手してゐてはならんぞ、
力の限り尽くさなならんぞ。
〜158頁〜
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子供の同級生のお父さんが亡くなられました
余命宣告をされ、少しでも家族と共にと
入院をされずに自宅で過ごされていたそうです
つい最近の行事にもいらして
なんだか顔色が悪いな…と感じていましたが
まさか病気であるとは知りませんでした
私は今日を精一杯生きてゆくと願い思いながら
まだどこかで精一杯の力を出してはいない
力の限りを尽くすこと
それはきっと後悔しない毎日を過ごしてゆくことなのだと
けれどまだまだ
そういう心には遠く
修行が足りないなと感じています
生活心配するでないぞ。
〜157頁〜
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心配すれば
心配した通りになること
心の思う通りになる世となってきたことに
気付かねばなりません
明日の生活を心配する前に
今を生きてゆけることに感謝する
本当に当り前のことですが
今日 命あることに感謝してゆくことが
嬉し嬉しの暮らしとなる一歩なのだと思います
いざと云ふ時は日頃の真心もの云ふぞ。
付け焼刃は付け焼刃。
神拝むとは、
頭ばかり下げることでないぞ。
内の生活することぞ。
内外共でなくてはならん。
残る一厘は悪の中に隠してあるぞ。
〜576頁〜