下腹からの怒は怒れ。
胸からの怒は怒るなよ。
〜572・573頁〜
祈れば祈る程悪うなることあるぞ。
〜572頁〜
----------------------------------------
祈る心に何を持つ
其の祈りの中に我はないか
慾はないか
神、
拝しても筋違ふと水の泡ぞ。
まだ迷うてゐるが、
それでは仕組成就せんぞ。
褌しめて一本道の真心結構。
金がよければ金拝め。
人がよければ人拝めよ。
神がよければ神拝め。
かのととり。
一二十
〜572頁〜
----------------------------------------
迷うから人間
けれどそこから抜けることができるもの
気を入れ進まねば
拝み合ふことは理解し合ふことぞ。
手合せて拝むばかりでは何も判りはせんぞ。
何故に、心の手合せんのぢや。
心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢや。
サトルことぢや。
苦しんで苦しんで苦しみ抜いて得たことは楽に得たことぢや。
その楽に得たことのみ自分の身につくのぢや。
血ぢや。
肉ぢや。
かのととり。
〜570頁〜
----------------------------------------
こうして神示を読むようになり幾ばくかの年月をかさねてきましたが
最初のころは身魂の掃除洗濯とばかり
心にひっかかるもの
それらを手放すというか忘れようとしていました
執着を手放す
出来たと思ったらまた湧いてくる色々な想い
その繰り返しでした
表面上だけで理解したことは
自分の血や肉とはならない
心に身体に刻むために
今もまだ学びの中ですが
苦しみ抜いたその想いから得たことが
楽となり心の糧となっているようです
皆仲よう相談し合つて力合せて進め進め。
弥栄えるぞ。
二つに分れるぞ。
三つに分れるぞ。
分れて元に納まる仕組。
結構結構。
理解大切。
理解結構。
思考しなければこれからは何も出来んぞ。
〜570頁〜
----------------------------------------
言葉というものがなければ
人は相手のことを理解するのが難しいです
けれど、言葉はその人それぞれに解釈が違ってしまい
理解に遠くなることがしばしばあります
昔昔
言葉がなくても思うことで相手と意思疎通がとれたけれど
今何故そうではなくなったのか…
言葉が生まれたのは
思考し理解し
より深く大きな身魂となる為のものなのかもしれません
新しき神国が生まれるまでめぐりばかりがうようよと、
昔のしたことばかり恋しがつてゐるが、
そんなこと何時までもつづかんぞ。
三年の苦しみ、
五年もがき、
七年でやつと気のつく人民多いぞ。
〜569・570頁〜
----------------------------------------
時間がかかっても
気付けた人は幸い
この苦しみとて今だけのもの
そこから何を学び何を理解してゆくか
それが大事なのだと
まだまだもがきの中
めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。
めぐりなくなれば神が有難いのぢや。
人間無くて神ばかりでは、
この世のことは出来はせんぞ。
神が人間になつて働くのぞ。
判りたか。
〜569頁〜
----------------------------------------
人はめぐりに苦しむことがあります
それを越えたとき
体験して初めて得る何かがあります
そうやって成長してゆけるのが
人という私たち
感謝してこの生を生きてゆきます
神示はちつとも違はん。
違ふと思ふことあつたら己の心顧みよ。
その心曇つてゐるのであるぞ。
〜569頁〜
人の道と天地の道と間違へてゐるぞ。
人の道は花色々と咲き乱れ、
織り交ぜて、
楽し楽しのそれぞれであるぞ。
〜568頁〜
----------------------------------------
人はそれぞれ十人十色と言われるように
一人として全く同じ道を歩むことはないのです
そんな一人として
何事も楽しんで歩むことなのだと
天地を繋ぐ道
美しい花を咲かせてまいりましょう